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書籍 『王様マインドと奴隷マインド』 『最新の資産防衛は聖書に隠されていた』 『聖書に隠された成功法則』 『聖書に隠された性格分析 ケルビム・パターン』 の続編・特別編の公開ページです。



王様の国つくりの基本

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東日本大震災と原発事故を経験した日本は、災害前の状態に戻す「復興」を目指すべきではなく、この危機を転換のチャンスととらえ、新しく、そして美しい理念で、国を「再生」することが、求められています。

今回の天災、そして人災は、目先の豊かさや私利私欲を追求するがゆえに、天の道から外れて歩んできた、わが国に対する神からの警告だと、とらえるべきでしょう。

天の道に歩む国については、聖書に書かれた「天の御国(みくに)=神の国」の理念から学ぶことができますが、その概念の一部は、すでに日本人の意識に潜在し、日本語の中にも組み込まれています。

天才(天から与えられた才能を生かす人々)が、天命(天から与えられた使命)を自覚して、それを遂行することで、天職(天から与えられた職業)を全うする、などという表現が、それに相当します。

「天命に従う」や「天職と心得る」など、天の御国の概念の多くは日本文化に本来備わったものであり、日本人が共感するものです。外国由来の異質な概念ではありません。

むしろ、ほとんどの日本人にとって馴染み深いものだと思われます。

天の御国の理念によって日本を再生するという働きは、「真の豊かさの創造」とも言い得るもので、日本が他国の模範となり、リーダーシップを世界に発揮することにつながります。

再生された日本は、次のような特徴を持っています。

  1. (1) 人間は一人ひとりが、神の最高傑作なので、各自の尊厳が尊重される。
  2. (2) 一人ひとりに、天命が与えられているので、それぞれの天命に伴う独自の社会貢献をする。自分の天命を知り、それに向かって進むことで、本人も周りも社会も、より良い方向に変革されていく。
  3. (3) 一人ひとりに与えられた固有の性質や才能が引き出され、発揮される機会が、教育現場でも、社会でも与えられる。個性を埋没させる均一な教育ではなく、個性が伸ばされる創造的教育が実施される。また、各自の個性が生かされる社会が実現する。
  4. (4) 子どもや弱者は、いたわられるべきだが、可能な限り、自立へと方向づけられる。人に魚を与えれば食べ終わると飢えるが、釣りを教えれば一生食べていける。
  5. (5) 助け合い、譲りあって調和的に生活し、互いの益を求める。
  6. (6) 「一人ひとりが尊重され、愛されるべきものだ」という価値観が、社会の隅々に浸透する。
  7. (7) 一人ひとりが、自発的に愛に動機づけられて行動し、平和を作り出すものとなる。
  8. (8) 賄賂の授受や、不正な利権をむさぼる者は、恥ずべきものとし、「高潔であること」を社会の基調とする。
  9. (9) 自然を管理し、自然と共生し、平和を愛し、自分のまわりに平和をつくる。
  10. (10) 子どもに美しい自然・文化・富を残す。子どもを品格あるものとして育成する。
  11. (11) 都市と地方の格差が平準化される。地域の特性に合わせた分権化がなされる。
  12. (12) 両親を敬う。目上の者、権威ある者を敬う。
  13. (13) 権威ある者や、政府を構成する者は、民のために命を捨てる覚悟を持って民を愛し守り、ビジョンと計画を掲げて、国を建て上げ、より良い社会に変革し続けるという使命感を持つ。
  14. (14) 国が何をしてくれるかではなく、国に対して何ができるかを考える。受けるより与えることを考える。
  15. (15) 金銭を得ること、仕事をすること、持ち物を誇ることを人生の目的とせず、各自の天命を全うすることを人生の目的とする。
  16. (16) 家族を大切にする。適度に休む。体調を管理する。勤勉であることは大切だが、働き過ぎないように注意する。
  17. (17) シンプルなものの中に真実がある。多様化は良いが、複雑になったり、混乱がおきないよう注意する。
  18. (18) 各自が取り組むようにという使命を与えられたことは、積極的に変えていき、変えることができないものは委ねる。
  19. (19) 邪悪なもの、誘惑となるものを遠ざける。
  20. (20) 精神的にも肉体的にも霊的にも健康的な生活をし、不健康な依存を避ける。人や物・金銭や霊的存在物(者)に頼ったり、それらを操作したりすることで自分の欲求を満たそうとしないで、与えられている使命に目を向ける(偶像礼拝禁止)。


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お金の本質

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お金の本質を見ていく前に、「全ての富や豊かさの源泉は天にある」という富の本質を理解する必要があります。

富とは、物質的なお金や財産だけではなく、才能や豊かな人生まで含まれます。これらはすべて良いものであり、富の源泉はすべて天、つまり神の元にあります。

そして、富は人が努力したり修行したりして手に入れるものではありません。神の祝福が人を富ませます。

お金は天から預かっている富の一つなので、良いものですが、金銭を愛することは悪いことです。

これが聖書の考え方です。

ここに混乱があることから、お金を否定する考え方や、その反対の拝金主義に陥ることになってしまいます。

お金の本質を知るために、お金はどのようにして誕生したかを理解し、お金で買えるものと買えないものを見ていくことにしましょう。

お金が登場する前は物々交換

お金が登場する前、人々は物々交換、(バーター取引)をしていました。

果実を魚に交換して欲しい人と、魚を果実と交換して欲しい人とが、それぞれ自分の持ち物と相手の持ち物を交換していました。

この場合、お互いの欲しいものと手放したいものが合致し、しかも同じ価値(等価)である必要があります。

つまり、自分が魚を持っていて果実が欲しいと思っても、果実を持っている人が、肉を欲しいと思っていたら、交換は見送るか、肉をどこからか調達してくるか、相手に納得してもらって、一旦、肉の代わりに魚と交換してもらう必要があります。

お互いの持っているものと、交換したいものが異なることが圧倒的に多いため、物々交換は、非常に不便です。

そこで、登場したのが、中間的な媒介をするお金です。

魚を持っている人は一旦、魚を売ってお金に変えてから、果実をお金に交換したい人(果実を売りたい人)を探せば良くなり、利便性は飛躍的に向上することになります。

ここで、お金には次の3つの優れた機能があることが分かります。

(1)価値の基準

お金は、モノの価値を定めることができます。

つまりモノに値段が付くことになり、その価値を客観的に知ったり、提示することができます。

二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。(マタイ10:29)

一アサリオンとは約二千年前の当時のお金の最小単位ですから、一羽のスズメは最小単位のお金以下の価値しかないということになります。

最小単位のお金という視点で単純に考えると、スズメは2羽1円で売っていることに相当します。

昔から、スズメは価値の小さいものであり、このたとえでは、「価値の最も小さいものでさえ神が目を留め介入している」という意味で使われています。

(2)交換機能(決済機能)

物々交換の場合、相手の欲しいものを、こちらが用意する必要がありますが、お金で決済することで、その必要がなくなりました。

お金を渡すだけで、取引完了です。

「あなたのぶどう畑を私に譲ってもらいたい。あれは私の家のすぐ隣にあるので、私の野菜畑にしたいのだが。その代わりに、あれよりもっと良いぶどう畑をあげよう。もしあなたがそれでよいと思うなら、それ相当の代価を銀で支払おう。」 (Ⅰ列王記21:2)

聖書ではお金をお金、もしくは銀と表現しており、お金はかなり昔から存在していることが分かります。

(3)備蓄機能

魚が大漁だったとしても、魚を大量に蓄えることは難しいです。

しかし、お金があれば、魚を売ってお金にして、お金として蓄えることが可能です。

また、お金を銀行に預けておけば利子を得ることもできます。

聖書には約2000年前にはすでに銀行があって、預けておくと金利をもらえることが書いてあります。

だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。(マタイ25:27)

このようにお金が登場することによって、取引は劇的に便利になりました。

先ほど、スズメがお金の最小単位以下の価値で売られていることを書きましたが、それでは、地上で一番高価なものは何でしょう。

一般的に、人の命は地球より重いと言われていますが、これは人の命はお金では買えないくらい高価という意味です。

聖書でも、命はお金で買えないものとして扱われています。

イエスが登場する以前の旧約聖書時代は自分の罪を許してもらい、死に至らないように動物を生贄(いけにえ)として毎年捧げることで、人の命の代償としていました。

つまり、人の命を動物の命と交換していたことになります。

命はお金では償えないものであり、命は命との引き換え(バーター取引)が必要だということがわかります。

聖書の中で一番重要なものは福音(ふくいん・英語ではグッド・ニュース)といわれるものです。この福音は壮大な命と命の引き換え(バーター取引)と言えます。

福音とは「イエスが全人類の身代わり(代償)となって十字架で死んだ」ということです。

人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。 (マタイ20:28)
注:人の子とはイエスキリスト    

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。(Ⅰコリント6:20)

この表現だけですと分かりにくいので、聖書に書かれた福音を簡単に解説しますが、これは、聖書全体の壮大なストーリーの根幹部分であり、「実を結ぶ」という概念や、「天に宝を積む」という概念の前提事項です。

アダムとエバ(イブ)は食べてはいけないと言われていた禁断の実を食べるという罪をおかしたので、神から離れてしまいました。

神から離れることを死(の状態)といいます。

「罪ある者は死ななければならない」というのが聖書の原則であり、現代の死刑の概念の元になっている原則です。

一方、イエスは神が人の姿となり、地上を歩み、人間同様に誘惑を受けましたが、誘惑に負けず、罪をおかすことはありませんでした。

罪のないイエスに死は無いわけですが、死ななくて良いイエスが十字架の上で死んだ(殺された)ことによって、死の状態の人を生かし、神の元、天国に迎え入れるというバーター取引が成立しました。(但し、イエスは死後3日後に復活)

つまり、福音とは、単純にイエスが自分の身代わり、代償となって死んだことを信じれば、その人は命を得て神の元、天国へ迎え入れられる、つまり永遠の命を得るというものです。

キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。(Ⅰペテロ3:18)

福音とは何かを簡単に言えば、人の命とイエスの命との交換ということが分かります。

この福音から判断しても、人の命はお金で買えないものの筆頭です。

このように、聖書的視点から、お金で買えるものと、お金で買えないものを見ていくと、お金の本質が分かってきます。

お金の本質を知る上での再確認ですが、お金は富の一つで、良いものであり、全ての富の源泉は神にあり、神の祝福によって富がもたらされるということです。

私たちの富・お金・財産は神から預けられたものであり、人はそれを楽しむことができ、人生の喜びも与えられたものと書いてあります。

お金は自分で稼いだものではなく、神から預けられたものという認識があると真の楽しみや喜びにつながります。

実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。
こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。(伝道者の書5:19~20)

神からの祝福の結果としてお金持ちになることは当然ありますので、富を否定すると神の祝福や恵みを否定することになり、祝福が注がれにくくなり、貧困に陥ることになります。

同時に、聖書はお金を愛することを禁じています。お金を愛するとは貪欲ということです。

金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。(Ⅰテモテ6:9~10)

金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。(伝道者の書5:10)

また、お金持ちになるために神を信じるということになれば、それは神を自分の召使いにする発想ですので、これも本末転倒です。

多くの人はお金持ちになることを「目的」にしてしまいますが、お金は「目的」ではなく「手段」にすぎないということをよく認識する必要があります。

お金持ちになることを「目的」にしてしまうのは「お金があれば何でも買える」「お金があれば欲しいものが手に入る」と思ってしまうからだと思います。

お金で買えるもの、買えないもの

お金で買えるものと買えないものを、一つ一つ見ていきますが、これを見ていくと、お金は目標や目的に成り得ないこと分かります。

なぜならば、お金で買えるものは表面的なものばかりで、大切なことはお金で買えない、人の根源的なものばかりであるからです。

お金持ちであっても不幸である人が多いのは、これが原因です。

買える 世界旅行のチケット/買えない 天国へのチケット

世の中の成功者の定義の一つとして、「悠々自適に、好きな時に好きな場所に旅行ができること」があります。

確かに、お金があれば、世界中のほとんど、どこにでも行くことができるでしょう。

最近は、高額になるものの宇宙にまで行くことも可能になってきています。

しかし、聖書には、お金で天国へは行けないことが書いてあります。

おのれの財産に信頼する者どもや、豊かな富を誇る者どもを。
人は自分の兄弟をも買い戻すことはできない。自分の身代金を神に払うことはできない。(詩篇49:6~7)

天国(神の国)とは、パラダイスのような、人が永遠に安らぐところですが、聖書では「貧乏であれば天国に行く」ということはありませんし、「お金持ちでなければ天国に行く」こともありません。

聖書では、お金持ちが天国に行くのが難しいとありますが、これは、お金持ちが貪欲であったり、お金や財産に頼ったり、お金や財産を持っていることで高慢になる傾向が強いからでしょう。

どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。(ルカ12:15)

このあとに続く、イエスのたとえ話は奥深いものです。

「ある金持ちの畑が豊作であった。
そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』
そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」(ルカ12:16~20)

買える 豪邸/買えない 天国の家(永遠の住まい)

人生の目標の一つを「豪邸に住む」にする人は多いです。

豪邸に住むことで、住み心地が良かったり、プライドを満たすことができるかもしれません。

しかし、聖書には人の寿命は120歳とあるように、この地上に住む時間は最長でも120歳、一般的には100歳も生きれば十分です。

聖書は人の魂は永遠に存続するものと書いてあり、イエスの言葉に以下のようなものがあります。

わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。(ヨハネ14:2)

父の家とは天国(神の国)であり、そこには住まいが沢山用意され、しかも立派な永遠の住まいです。

天国に行ける人は、天国の相続権があり、この家も与えられているということです。

今の豪邸は短期間だけ、この地上で住む仮の住まいです。

この地上では、私たちは寄留者であると書いてあります。(Ⅰペテロ2:11)

買える 地上の宝/買えない 天国の宝

お金があれば、金やプラチナなどの貴金属、ダイヤモンド・ルビーなどの宝石や高価な絵画・美術品などの宝を購入することができます。

これらを手に入れると、一時的に幸福を感じることもあります。

美しい宝石を身に付けたり、コレクションすることも悪いことではありません。

しかし、聖書には、天に宝を蓄えるように書いてあります。

天の宝は永遠の宝で、失われることはありません。

自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。(マタイ6:20)

あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。(コロサイ3:2)

地上の宝は、盗まれたり、失くしたりしますし、家やビルも地震で倒壊したり、津波で流されてしまうことがありますが、そもそも、どんなに地上に財産を築いても、死ぬ時には天国にもっていくことはできません。

この世の財産は全て地上に置いていくことになります。

私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。(Ⅰテモテ6:7)

買える 地位や肩書き/買えない 権威

世の中には地位や肩書きで人を判断する人もいますし、自分の価値を相手に示したり、相手に自分を認めさせたいことから地位や肩書きが欲しい人もいます。

人は肩書きや地位があると自分が偉くなったような気がするものです。

世の中には様々な地位や肩書きがありますが、地位や肩書きも、お金で買えるものもありますし、自分が求めたり、努力することで得られるものもあります。

その一方で、地位については、その地位を求めること自体が欠格要因になることもあります。

たとえば、経済同友会の会長職において、自分が会長になりたいと強く思って会長になるために根回しを始めたとなれば、その行為が会長としての欠格要因となるかもしれません。

なぜならば、皆が、「その人に会長になることが日本の発展に結びつき、世のため人のためになるので、是非、会長になって欲しい」と嘱望される人が会長になるという世界だからです。

ここでの会長職は買うものではなく、自分で得ようとするものでもなく、与えられるものです。

さらに、上位概念である権威は神から与えられるものであり、本来、人が自分のお金や努力で得るものではありません。

権威については奥が深いので、ここでは表面的なことだけに留めておきますが、聖書には、権威は神によって与えられていると書いてあります。

権威は、地位に連動しているものもありますが、この世の地位や肩書きとは別に与えられているものがあります。

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。(ローマ13:1)

権威のない肩書きが意味のないものであることは、その立場になれば分かるものです。

人は肩書きがあると、それを名刺に記載することが多いのですが、多くの肩書きがある人は、名刺もびっしり肩書きで埋まってしまい、自分の名前が隅に追いやられてしまうこともあります。

ところが、肩書きばかりだった名刺も、ある時点から、記載する肩書きをどんどん減らして最後に名前だけにする傾向があります。

これは権威が与えられているために、肩書きを書く必要がなくなったケースや、権威のない肩書を書いても意味がないと思ったからかもしれません。

聖書には、それぞれの人の人生には目的があるとされ、その目的に向かって歩む時に人は生きがいを感じます。

これは使命や天職と言われる概念であり、成功者になるための秘訣です。

ある人は、この世でも誉れとされる地位や肩書きを持つかもしれませんが、ある人は、地位や肩書きとは無縁かもしれません。

自分に与えられている目的に向かって進む時に人は生きがいを感じ、使命や天職と感じながら嬉々として生きることができます。

そして、使命を持って歩む者に権威が与えられていくと言っても良いでしょう。

また使命を持って歩む者には権威だけではなく、必要なお金も与えられていくことになります。

聖書に登場するヒーローの一人、使徒パウロは、今で言えば高級官僚の地位でしたが、やりがいがある自分の使命と出会ったとき、地位すらも「損」と感じ、自分の使命に専念しました。

高級官僚の地位を捨て、神から与えられた使命を取ったのです。(ピリピ3:13~14)

そして、パウロには、与えられた使命とともに権威が与えられました。

買える 楽しみ/買えない 幸福

非道徳的なものは別として遊びや楽しむことは人に与えられた特権であり、それは悪いものではありません。

遊ぶことで、一時的に幸福を感じることもあるでしょう。

しかし、遊び疲れると、もはや遊びでは幸福と感じることができなくなります。

真の幸福とは一時的に幸福と感じるようなものではありません。

真の幸福とは、何を持っているか、何をするか、ではありません。

聖書の中に書いてある真の幸福とは、いつどんな状態でも、人が神とつながっている状態の時に得られるものです。

つまり、何かを持っているとか、何かをしているのではなく、単純に神とともにいる状態です。

私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。(Ⅰヨハネ4:16)

反対に、悪の中にいると、いかにお金を持っていても、本人の中に本当の幸福はないものです。

悪者にはしあわせがない。その生涯を影のように長くすることはできない。彼らは神を敬わないからだ。(伝道者の書8:13)

また、神と繋がることは、多くの実を結ぶ秘訣だと書いてあり、これにはお金や財産・富も含まれます。

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(ヨハネ 15:5)
注:「わたし」とは「イエス」    

買える 快楽/買えない 喜び

快楽とは、一時的に現実逃避して、自分の欲求を満たすことです。

しかし、結果的には以前よりひどい虚しさが襲ってきたり、つけが回ってきます。

今はエンターテイメントがブームです。

現在、テレビ番組は、芸人が登場するエンターテイメント系が多くを占めています。

ディズニーランドは大繁盛で、東日本大震災後に、一日の入場者数が過去最多になりました。

過去の世界の歴史から判断すると、エンターテイメントがブームになるのは、文明が崩壊する末期に現れる現象です。

快楽は一時しのぎであり、より強烈なものを追い求めつづける悪循環になることも多く、そこには本当に欲しい喜びは見出せません。

私は心の中で言った。「さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。」しかし、これもまた、なんとむなしいことか。笑いか。ばからしいことだ。快楽か。それがいったい何になろう。(伝道者2:1~2)

真の喜びは、貧乏だから、金持ちだからなどという現在の環境や状況に左右されず、内側から溢れてくるものです。

これは「幸福」と似ています。聖書の言葉で言えば「何も持たないようでも、すべてのものを持っている」という確信です。

これは神の子としての特権を得た者たちが持てる確信です。

悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。(Ⅱコリント6:10)

あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。(詩篇4:7)

買える 静かな環境/買えない 平安

防音設備や田舎の静かな別荘はお金で買えますが、心を騒がす雑音から逃げられるわけではありません。

静かな環境が平安をもたらすのではなく、逆に不安になる人も多いものです。

不安を紛らわせるために、雑踏の中にいる人もいます。

環境で平安が得られるわけではありません。

平安とは、お金があっても無くても、また、どのような情況の中でも、心が静かに安息している状態のことです。

お金があれば、平安になると思っている人も多いですが、お金持ちになると、それが失われることが怖く、不安になる人も多いものです。

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネ14:27)

また、人が神の元で平安を感じている時、つまり安息している時に神が働きます。

買える セキュリティ/買えない 安心

お金を出せば、警備を付けたり、防犯設備の整ったセキュリティの高い住宅に住むことができます。

しかし、セキュリティを高くしたつもりでも安心とは限りませんし、財産管理や突然の病気や事故など、思い煩いや悩み事を一度考え出したら安心にはたどり着きません。

全てを、周到に守ったとしても、自分がそれを永遠に所有できるわけではありません。

また、守ろうとすればするほど、それを奪おうとするものが現れるものです。

高度なセキュリティを入れるということは、そこに、お金や財産があることを告知していることになるからです。

わたしは彼らと平和の契約を結び、悪い獣をこの国から取り除く。彼らは安心して荒野に住み、森の中で眠る。(エゼキエル34:25)

安心とは、神によって自分(と財産)が守られるとき得られる感覚です。

買える 高級ベッド/買えない 安眠

安眠できる高級ベッドや、自分にピッタリなオーダーの高級まくらを買うのも良いでしょう。

美しい、ゆったりとしたBGMや、精神を休めるアロマの香りも眠りを誘うことでしょう。

しかし、このような快適な安眠のためのツールが安眠を約束してくれるわけではありません。

むしろ、お金持ちほど安眠できない可能性があります。

働く者は、少し食べても多く食べても、ここちよく眠る。富む者は、満腹しても、安眠をとどめられる。(伝道者の書5:12)

平安がある時に、人は安眠することができます。

イエスは、嵐で揺れる舟の中でも安眠していたと書いてあります。

すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。
ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」
イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。
イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」
彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」(マルコ4:37~41)

平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。
主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。(詩編4:8)

買える 高度医療/買えない 健康

健康はお金で買えるとも言われます。

これは、健康的な食べ物を食べることで、病気になりにくいという意味で使われることが多いですが、それには限度があります。

一般的には、高価な贅沢な食べ物を食べるほど体を壊しがちで、粗食が健康の元だといえるでしょう。

また、素晴らしい名医や最新の設備を備えた病院が用意されていたとしても、健康になるわけではありません。

素晴らしい設備は健康になるためより、むしろ病気になった時に役立つという意味合いが大きいでしょう。

ある日突然の不治の病になってしまうこともあります。

聖書では健康になる方法が書いてありますが、これはある意味、気楽な方法です。

わが子よ。私のおしえを忘れるな。私の命令を心に留めよ。
そうすれば、あなたに長い日と、いのちの年と平安が増し加えられる。
恵みとまことを捨ててはならない。それをあなたの首に結び、あなたの心の板に書きしるせ。
神と人との前に好意と聡明を得よ。
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。
それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。
あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。
そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。(箴言3:1~10)

買える 見かけの美しさ/買えない 真の美しさ

美しさは神の特質の一つですから、美しい服を着ることは良いことです。

また、女性がエステに行ったり、化粧をして美しくなろうとするのも良いことです。

そもそも、エステという言葉は聖書のエステル妃がオイルマッサージや化粧をしたことを語源とする言葉です。

外見を清潔に、美しくすることは大切ですが、外見は人の心を反映するものですので、内面を磨き、外面に美しさを現すことが大切です。

人に対する聖書の一番の命令は「喜びなさい」ですが、人が喜んでいる姿は美しいものです。

40才になったら、自分に顔に責任を持てと言われますが、これは本当です。

いくら、外見だけを化粧したり、整形したとしても、内面的な美しさなしでは真に美しいとは言えません。

からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。(マタイ6:22~23)

たとえ、大整形手術をして美しくなっても、心が外見についていけなかったり、自分のセルフイメ-ジが低いと不安感の塊となります。

真の美しさは心からくるからです。

神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。(ヤコブ4:8)

美しいが、たしなみのない女は、金の輪が豚の鼻にあるようだ。(箴言11:22)

麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。(箴言31:30)

生まれつき外観的な美しさを持っていたとしても、心が美しくないと幸福から遠ざかります。

あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものとした。(エゼキエル28:17)

太陽が熱風を伴って上って来ると、草を枯らしてしまいます。すると、その花は落ち、美しい姿は滅びます。同じように、富んでいる人も、働きの最中に消えて行くのです。(ヤコブ1:11)

買える 友人/買えない 友情

一般的傾向として、お金がある時には友達は増えるものです。

金回りが良く、皆をもてなす人は人気者になり、友達はどんどん増えるでしょう。

このような友達が悪いということはありませんが、このような友達はお金がなくなると去っていくものです。

その人の友達を見るとその人が分かると言いますが、お金で集まってくる友の中には悪い道に導く悪い友達もいることでしょう。

思い違いをしてはいけません。友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。(Ⅰコリント15:33)

人を向上させるものが真の友であり、これが友情と言われるものです。

鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。(箴言27:17)

心のきよさを愛し、優しく話をする者は、王がその友となる。(箴言22:11)

聖書には、神が人の友であり、友情という絆を築くことができることが書いてあります。

これは、神は、遠くはなれた存在ではなく、身近にいて、友情関係を持つことができる人格的(神格的)な存在であるということです。

そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。(ヤコブ2:23)

わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。(ヨハネ15:15)
注:「わたし」とは「イエス」    

人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。(ヨハネ15:13)

買える 部下/買えない 弟子

会社や組織を買うことや、給料を払うことで部下を持つことはできます。

しかし、弟子としてついてくる人はお金がもらえるという理由で、ついてくるわけではありません。

むしろ、弟子とは弟子自身がお金を払ってでも、ついてくる人のことです。

その人に魅力があって、その人みたいになりたいと思った人が弟子となります。

お金持ちには、お金持ちになる方法を知りたいと弟子になる人もいるかもしれません。

しかし、お金持ちになることを第一目標にしている弟子ばかり回りにいることは、良い状況とは言えません。

なぜなら、その弟子たちは、その人の弟子ではなく、お金の弟子だからです。

イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ4:19)

その日、三千人ほどが弟子に加えられた。(使徒2:41)

買える 人の関心/買えない 愛

お金を使って人の関心を引くことは可能ですが、愛を買うことはできません。

聖書の中では愛は行動の基本にすべきものとされています。

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。(Ⅰコリント13:3~8)

愛はお金で買えないことは、皆が分かっていますが、一番欲しいものが愛です。

そして、人は愛されることによって、人を愛することができます。

聖書では、人はそもそも神に愛されている存在であるとしており、愛されるための条件はありません。

私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。(Ⅰヨハネ4:19)

愛されるために何かをするのではなく、すでに愛されていることを知ることが大切です。

買える 知識/買えない 才能

知識は人が人として生きるために基本的に必要なものであり大切なものです。

高い授業料を払い、高度な教育を受けることで、高い知識を身に付けることができます。

知識と似たことばで、知恵という言葉があります。

知恵は知識を昇華したもので、知識に加えて経験や体験などの裏づけがあって会得するものであり、これも実践的な学習をすることで身に付けることがある程度可能です。

この知恵は人の知恵のレベルと神の知恵のレベルにわけることができます。

神の知恵は賜物の一つであり、神から与えられた才能や能力の一つです。

賜物である神の知恵や才能はお金で買うことはできません。

天才は辞書をひくと「天から与えられた、たぐい稀な才能」という意味ですが、天才でなくても才能は天(神)から与えられたものです。

人の知識は間違えることも多いものです。

アダムとエバは禁断の実である知識の実を食べてしまったことから楽園を追放されましたが、これは人が知識を求めてしまったため、楽園に住むことができなくなってしまったからです。

さらに、人の知恵のレベルと神の知恵のレベルとは大きく乖離があります。

それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。
しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。
私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。
この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。
(Ⅱコリント2:5~8)

幸いなことよ。知恵を見いだす人、英知をいただく人は。
それの儲けは銀の儲けにまさり、その収穫は黄金にまさるからだ。
知恵は真珠よりも尊く、あなたの望むどんなものも、これとは比べられない。
その右の手には長寿があり、その左の手には富と誉れがある。
その道は楽しい道であり、その通り道はみな平安である。
知恵は、これを堅く握る者にはいのちの木である。これをつかんでいる者は幸いである。(箴言3:13~18)

神の知恵や才能などを筆頭に賜物とは人に与えられた大きな富です。

また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。(伝道者の書3:13)

買える 人への影響力/買えない 神への影響力

この世において、お金で人に影響を与えることは可能です。

お金で人の気持ちを一時的に向けさせることも可能でしょう。

成功者はこの世に対する影響力を持っています。

しかし、この世に対する影響力を持つ以上の力があります。

それは、神への影響力です。

神への影響力を持つ人とは聖書の中では勝利者という概念です。

つまり、この世の成功者の概念の上に、この世に勝利したという意味の勝利者という概念があります。

勝利者は、この世の成功者と比べると小さい者・弱いものであるように見え、世の中に対して何の影響力もないように見えることもあるでしょう。

しかし、この世に対しては影響力がないように見えたとしても勝利者は、神が、その人の祈りを聞きます。

聖書に登場するモーセは、特にカリスマ的な人でもなく、演説が上手だったわけでもなく、むしろ口ベタでしたし、皆から文句ばかり言われてきた人ですが、荒野を40年間もリードし続けた人です。

このモーセは常に神と対話し、モーセが神に語ると神が答えてくれたので、民もモーセについていきました。

主はモーセに告げて仰せられた。「わたしは主である。わたしがあなたに話すことを、みな、エジプトの王パロに告げよ。」
しかしモーセは【主】の前に申し上げた。「ご覧ください。私は口べたです。どうしてパロが私の言うことを聞くでしょう。」

中略

わたしはパロの心をかたくなにし、わたしのしるしと不思議をエジプトの地で多く行おう。
パロがあなたがたの言うことを聞き入れないなら、わたしは、手をエジプトの上に置き、大きなさばきによって、わたしの集団、わたしの民イスラエル人をエジプトの地から連れ出す。
わたしが手をエジプトの上に伸ばし、イスラエル人を彼らの真ん中から連れ出すとき、エジプトはわたしが主であることを知るようになる。」 (出エジプト6:29~30 7:3~5)

買える 人からの賞賛/買えない 神からの祝福

人から賞賛されることは良いことです。

お金を使って人から賞賛されることも可能です。

貧しい人に大金を寄付すること(施しをすること)は賞賛に値します。

しかし、人からの賞賛はすでに、賞賛という報酬を受け取っていることになります。

だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。(マタイ6:2~4)

聖書には人が富むには神の祝福がキーであることが書いてあります。

この最後の項目だけ、今までのお金で買えるものとお金で買えないものという区分けから少し違うところがあります。

人からの賞賛を得るために、つまり自分の自己満足のために困っている人にお金を与えることはできますが、人からの賞賛を受けた時に、その報いは終わってしまいます。

しかし、人に知られずに、困っている人にお金を与えると神が祝福してくれますので、この場合にはお金で神の祝福が買えると言って良いでしょう。

 

いかがでしたか?

お金持ちが求める多くものがお金で買えないものばかりであることが分かったと思います。

しかし、それはお金が不要なものという意味ではありません。

聖書の富の概念と、この世のお金には接点があることも分かったと思います。

聖書の富と、この世のお金の両方の意味と扱い方を知る知恵こそが、人にとっての大きな財産であると言えます。

『聖書に隠された成功法則』(サンマーク出版)は、富と密接な関係がある成功について書きました。

真の成功者となるための必読書です。




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